映画『ビューティフル・マインド』の感想

ビューティフル・マインド (字幕版)

ビューティフル・マインド (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

実在したノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュ博士を主人公にした映画。

映画を通して、統合失調症を患った博士が見る幻覚が描かれている。

いろいろな感想がもてる映画だったので、それぞれ書いていきたい。

幻覚のルームメイトはなぜ現れたか?

大学の寄宿舎の時からの長い付き合いになる「幻覚」の友人、ルームメイトのチャールズ。

彼がなぜ現れたか?

博士には周囲の学友と打ち解けられない心の孤独があり、その欲求からチャールズが現れたと思われる。

またチャールズが理系ではなく「文学部」というところも大事である。なぜなら博士は自ら、自分には数学しかない、と言っていて、数学は自分の価値を示す重要な学問でありながら、同時にプレッシャーになっている。

だからこそ心安らぐ友人には、その領域から離れていている存在であってほしく、チャールズは文系になっている。

妄想の暗号解読がなぜ始まったのか?

市販されている雑誌に暗号が隠されていると指示する幻覚の政府の人間パーチャー。

彼はなぜ現れたか?

おそらく、自分の価値を認めて欲しい、承認欲求から現れた。

なぜ、暗号だったのかというと、序盤に学内で他の人間の暗号に関する論文にケチをつけている行為が関係していそうだ。

つまり暗号という分野で、他者に敗北感や劣等感を抱いていたからこそ、そこに固執して、自分は劣ってはいない、という証明をしたかったのではないかと思う。

博士はなぜ暗号解読をやめられなかったのか?

上記しているとおり、自己の能力証明の欲求で始めたが、なぜやめられないか?

それは博士は自身で、自分には数学しかない、と言っている通り、自分の人間としての価値を、数学・暗号解読にしか見出せないからだ。

そして博士は自分の能力を、疲弊しながら毎日使い続ける。

真夜中の草原を、闇雲にただただ走り続ける馬のように。

しかしついに疲れ果てた博士は人としての幸せ、やすらぎをもとめる。

それがしばしば登場する文系のチャールズであり、話が進むと彼は家庭の幸せのシンボルー疲れ果てた博士がもとめる幸せーである「娘」を連れるようになる。

つまり博士の心境は、数学で作られる自分の「価値」と、自分がもとめる安らぎと「幸せ」で揺れ動きつづけている。

奥様は博士のどこが好きなのか?

博士は疲れ果て怯えているし、同時に数学の冒険者、真理の探究者である。

そして、実はユーモアがおもしろい人物でもある。

そんなところが魅力かな、と。

統合失調症という病気

博士は数学にのめり込み、また孤独であったことで、統合失調症を深めていった。

この映画をみて、統合失調症は非凡(またはそう見える人)がなる特殊な病気、という見方をしそうだが、この病気は現代では100人に1人程度なり、またその原因も一意ではないことに気をつけたい。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_into.html