SwiftPackageManager(SwiftPM)のコマンドまとめ
https://swift.org/package-manager/
パッケージを初期化(実行形式)
$ swift package init --type executable
パッケージを初期化(ライブラリ)
$ swift package init --type library
ビルド
$ swift build
テスト
$ swift test
実行
$ swift run
Package.swift 内で依存関係を定義
ローカルのパッケージを参照
.package(path: "../Package"),
ブランチを指定してパッケージを参照
.package(url: "https://github.com/<USER>/<REPO>.git", .branch("master")),
Android デバイスの DPI 一覧
GitHub プルリクエストをする時の流れ
フォークしてプルリクエストをあげるまで
- GitHub 上で対象のリポジトリを自分のリポジトリとして fork する
- ブラウザの画面上に「Fork」ボタンがあるのでそれを押すと、 fork される
- fork したリポジトリを clone する
$ git clone フォーク先リポジトリ.git
- 作業用 branch を作成して、ブランチ切替する
$ git checkout -b dev
- 作業用 branch で commit する
- 作業用 branch の内容を push する
$ git push origin dev
- pull request する前に fork 元で更新があれば、それを取り込む
$ git pull
- pull request する
- GitHub 上の UI でする
- (もし必要なら)pull request が OK で merge されたら作業用 branch / fork を削除する
フォーク元リポジトリを追跡して、フォーク先リポジトリに更新が入るようにする
- ブランチを master に切り替える
$ git checkout master
- fork 元のリポジトリ参照を upstream という名前で追加
$ git remote add upstream フォーク元リポジトリ.git
- upstream から pull する。これで fork 元のリポジトリの内容がローカルに反映される。
$ git pull upstream master
- ローカルの反映をプッシュする
$ git push origin master
その他
仏教の存在論 ー空観・仮観・中観ー
存在しないことの苦しみ、存在することの苦しみ。
仏教というものが「存在」に対する苦しみにどういった考え方を提示しているか。
空観(くうがん)
紀元前5世紀頃に釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が悟った真理の中に、「縁起(えんぎ)」というものがあります。
「縁起」とはその言葉からすこし想像できますが、この世の物事はそれ自体が単独で存在しているのではなく、他の物との関わりの結果、存在しているという考え方です。
例をあげると下のような感じです。
- 土があるから山がある(山自体が単独で存在するわけではない)
- 水があるから川がある(川自体が単独で存在するわけではない)
- 木があるから森がある(森自体が単独で存在するわけではない)
では、この「縁起」の考え方をさらに突き詰めてみるとどうなるでしょう?
例えば、森は木の集合の結果ですが、木は葉や枝や幹から成っています。
葉を分解すると小さな葉になり、さらにその葉を分解すると小さな小さな葉になり、繰り返すことで、ほとんど大きさが無いような小さな粒子になります。それは枝や幹も同じです。
このように物事はそれ自体が存在しているわけではなく、何かの集まりでそう見えているだけ、という見方を「空観(くうがん)」と言います。
すべては、空(くう)であり、空(から)であるということです。
「空観」では、たとえ人間でも分解していくと、細胞のかたまりになり、さらに細胞を分解すると小さな粒子になることから、人間という物ものも単独で存在しないことになります。
ということを考えると、「空観」は物事の存在を否定するため、虚しさや無気力さという苦しみを生みます。
仮観(けがん)
物事はそれ自体は存在しないという「空観」に対して、空(くう)なる物事が、仮にそれ自体が存在するという見方をするのが「仮観(けがん)」です。
- 山は山として単独で存在する
- 川は川として単独で存在する
- 森は森として単独で存在する
「仮観」では自分の好きな人間、それ自体が存在する喜びもありますが、一方で自分の嫌いな人間も、それ自体が存在することになるため、自分の嫌いな人間への憎しみにとらわれて、苦しむことになります。
中観(ちゅうがん)
「空観」と「仮観」の両方どちらも苦しみがあることが分かりました。
この二つの物事の見方で生まれる苦しみに対して、2世紀頃に龍樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ)というお坊さんが「中観(ちゅうがん)」という別の物事の見方を説きました。
「中観」というのは、言葉どおり「空観」と「仮観」の中間の物の見方です。
「仮観」では物事はそれ自体が存在しますが、それをさらに「空観」で見ると、「縁起」によりすべてのものが関係して「意味」があるように見えてきます。
たとえば、自分の嫌いな人間それ自体が存在する見方(仮観)をしますが、その嫌いな人間が働いたり、買い物をすることで、社会に税金が入ります
その税金が巡り巡って、それ自体が存在しない見方(空観)をしていた自分の好きな人と生活するための道路や橋に使われることになり、結果として自分の幸せに関係(縁起)することになります。
このように、「中観」ではすべての物事が存在して関係している見方ができるため、物事に「意味」を見出すことができます。
そしてこの「意味」によって、虚しさや無気力や憎しみなどで苦しむことなく、穏やかな心で過ごせるようになるということです。
釈迦が悟りを開くまでのストーリー
釈迦が悩み苦しみ、そして悟りを開くまでの話をまとめる。
多感で苦しんだ王子
紀元前5世紀頃。
現在のインドのとある国の王様の子、王子として釈迦は生まれました。
釈迦は王子として何不自由なく裕福な生活をして育ちましたが、幼くして母親を亡くしてしまいます。
その影響もあったのか、釈迦は多感な青年に育ち、様々な人間の苦しみに気づき、それに悩むようになりました。
- 人はなぜ老いるのか?
- 人はなぜ病気になるのか?
- 人はなぜ死ぬのか?
- そして人(私)はこの苦しみから解放されるのにはどうしたらよいのか?
釈迦は王子としての立場があり、嫁を取り、子供も生まれ、順風満帆な人生を送っているように客観的には見えますが、内面は苦しんでいました。
すべてを捨てて出家
釈迦が29歳の時、夜中に一人で城を抜け出して、人生の真理を求める修行の旅に出ます。
当時のインドでは真理を追究するために苦行(苦しい修行)を行うことが一般的だったので、釈迦も苦行をするために、ある仙人のもとに行き、話を聞きました。
しかし、その仙人は生きているうちに苦行をして、できるだけ苦しむことで、死後の世界や来世をよりよいものとすることを目的に修行をしていたので、釈迦はこれでは現世で真理が分からないと思い、仙人のもとを離れました。
そして、釈迦は自分で苦行を行うことを決めました。
その時に父親である王様が、釈迦が修行に出ていることを心配して、5人の使者を釈迦のもとへ派遣しました。
釈迦はその使者たちと共に苦行を開始しました。(お父さんは心配性だったんですね)
何日もほとんど水や食べ物を口にしなかったり、呼吸を止めたり、雨が降る中も太陽の熱い光が降り注ぐ中も座禅をし続けたりと大変厳しい修行を続けました。
苦しい修行を断念
釈迦はそのような苦行を6年間続けました。
釈迦は痩せこけてしまい、体は骨と皮だけのようになってしまいました。
そしてここまで苦しい極限の修行をしても、真理にたどり着けないことに気づき、ついに疲れ果てた釈迦は修行をしていた山から下りてしまいました。
山から下りて、川で沐浴(体を洗い、清めること)をした後、ある村にたどり着きます。
村の中を痩せこけていた釈迦が歩いていると、優しい村娘スジャータが近づき、ミルクのおかゆを差し出してくれました。釈迦は悩みました。
もし、ここでおかゆを食べてしまうと、今までの極限の苦行が水の泡になります。
しかし、疲れ果てていた釈迦は、おかゆをもらい食べてしまいました。
仲間の離反と悟り
おかゆを食べたことにより、共にいままで修行してきた5人の修行仲間は、釈迦がついに修行をあきらめて、堕落してしまったと思い、釈迦のもとを離れていってしまいました。
一方、おかゆを食べ終えた釈迦は体力が回復してきたので、気持ちも新たに菩提樹という木の下で瞑想を始めました。(この菩提樹はインドのブッダガヤという場所に今でもあります)
ここでの瞑想はいままでとは違い、この世の真理について楽しみながら、スムーズに考えつづけることができました。
この瞑想は49日間続き、ついに釈迦はこの世の真理を悟り、仏陀(ブッダ・悟りを開いた人)となったのです。この時、釈迦は35歳でした。
釈迦は何を悟ったのか
悟りを開いて仏陀となった釈迦は、釈迦のもとを離れていった5人の修行仲間のところへ行き、悟ったことを次のように説教(話をして教えること)しました。
中道
人間は厳しすぎる道を選ぶと苦しむ。しかし、楽すぎる道を選んでも苦しむことになる。その真ん中の道を選ばなければならない。
無常
この世のすべては移りかわる。人はいづれ死ぬ。昼は夜になる。花は咲きづづけることはできずいずれ枯れる。常に同じで変わらないことはない。変わらないことを求めることで苦しみが発生する。
縁起
物事はそれ自体で存在しているのではなく、他の物との関係があり、その結果として存在している。
説教を受けた5人は釈迦の弟子となり、釈迦の入滅(死ぬこと)のあとも釈迦の教えを後世に伝えていきました。その教えをもとにした宗教が今日の仏教です。
仏教とは
釈迦が悟りを開いて皆に説教したことは、人間の「苦しみ」はどう考えたら対処できるか? というものです。
これは神様や仏様を信じる宗教ではなく、自分の心をコントロールする方法なので、「哲学」になります。
つまり、釈迦は宗教家ではなく、哲学者になります。
たとえば「中道」の考え方を試験勉強で説明すると、人間は体力や気力に限界がある生き物なので、睡眠時間を削って猛勉強し続けるより、適切な睡眠時間をとって集中して勉強したほうが結果的には良い成績が取れます。
こういった人間の理性を哲学したのが釈迦です。
では、現在の仏教という宗教はどこからきたかというと、釈迦の弟子たちや、その弟子から釈迦の教えを学んだ者たちが釈迦を仏様という人間を超越した存在にし、宗教になりました。
一方、宗教ではなく釈迦の考え方を哲学として捉えて、実践することを「ブディズム(仏陀主義)」といいます。
まとめ
以上の釈迦の人生をすごく簡単にまとめると、こうです。
- 29歳まで、お城で王子様として不自由なく暮らす。
- だけど、心は自由にならず、苦しんでいた。
- 思い切って、すべて(地位、お金、家族)を捨てて出家する。
- 苦しい修行を6年間やり、体がボロボロになる。
- 体はボロボロになったけど、心は救われず。
- あまりに疲れたので沐浴をしてスッキリして、もらったおかゆを食べる。
- 元気が出てきたので、木の下で瞑想してみる。
- 苦しい修行の時とは違い、瞑想が進む、進む。楽しい。
- 35歳。瞑想の末、悟った!
- 弟子たちに悟ったことを伝えてゆく。
- 80歳。入滅。
- 弟子が仏教を広める。
こうしてみると、釈迦と私たちは全く違う存在という訳ではなく、現代人と同じく「人生の苦しみ」に悩んだ人であり、その悩みを打ち消すために、いろいろチャレンジしたという事がわかりますね。