映画『あなたへ』の感想
高倉健が演じる老いた刑務官が、亡き妻の遺骨を、妻の故郷である長崎の海に散骨しにいく話。
富山から始まった車の一人旅で道中、いろいろな人との出会いがある。そして、その人それぞれに配偶者、子供といった大事な「あなた」が居て、哀愁のエピソードが続く。
市井の人間のなかにある、等身大の愛情や悲しみがでていて、登場人物すべてに魅力と親近感が感じられる。
「幸せの黄色いハンカチ」もそうだが、高倉健が旅をしながら見ず知らずの人間と出会い、不器用ながら心を通わせてゆくシーンの素朴さが、心にくる。おなじ日本人同士、肩をよせあっていきている、そんな感じがするのだ。
田舎の落ち着いた風景、哀しみを背負った善人、恩着せがましくない親切心、職務を全うする警察官。
これはいわゆる「古き良き日本・日本人」を描いているのだろうなとおもう。
少子化や国際競争力の低迷により、日本はかつてよりも地方経済は厳しくなってきている。
道路・橋や病院などのインフラの維持も難しくなり、経済もうまくいかず、人が流出し、老人が残っていく、疲弊してゆく日本の地方。
近年は、車が生活に必須な地方の高齢者の運転による事故も多く、明らかに日本は以前とは悪い意味で変わってしまった。
しかし、高倉健が出ている映画をみると、かつての豊かな日本の暖かい地方が舞台で、観ていると慕情を誘われる。
幸せの黄色いハンカチ、鉄道員などの高倉健の映画の独特の魅力な気もする。
そういえば、高倉健が文化勲章にえらばれた時、こんなことを言ってましたね。良い言葉。
今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20131026-1209238.html
最後に出演者について
俳優が他の映画では主役を演じるくらいの豪華さだ
浅野忠信は警察官役でほんのすこしだけ出ているので、見過ごしそうになる。。
映画『フィールド・オブ・ドリームス』の感想
この映画の良さは、説明がむずかしい。 しかし、とても爽やかで良い映画だと思った。
個人的には「面白いが、説明が難しい映画」は、また観たときに新たな発見があり、見るたびに映画との距離感が近づいていく「親密感」が感じられるから、好きである。
この映画のキーワードは
夢、挫折、忘却、家族、純粋、野球、コーン農場、車の旅
だと思う。
つまりこれは良きアメリカの映画と言える。
ファンタジーな役を、レイ・リオッタが演じてて、ちょっと一癖ある青年という雰囲気が、とてもマッチしている。
この俳優はグッド・フェローズに出ているのが有名ですが、独特な怪しさとカッコ良さが良いですね。
映画『エンド・オブ・デイズ』の感想
1999年の世紀末。
人知れず人類の終末が迫っていて、それをシュワルツネッガーが救う映画。
世界観が独特。グロテスク、エロチックな要素が多く暗い。いわゆる、シュワちゃんが悪いやつを、ずばーん!とこらしめる爽快なアクション映画とは違う。
この映画には20代のロビン・タニーがヒロインで出ていて、初々しく目を引く。プリズンブレイクでは弁護士を演じていたが、この女優はすこし精神面で問題を抱えている感じの脆さがある役が似合う。
気になるところは、映画のテーマや配役(サタン役のガブリエル・バーンもいい)がよいが、すこし雑然とした印象になっていて、ブラッシュアップするともっと良い映画になりそうだ。
というのも、この映画は1999年を舞台にしていて、それに合わせて公開も1999年なのだ。公開日を死守するため、すこし物足りなさがある状態の映画になったのかな、、?
映画『ビューティフル・マインド』の感想
実在したノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュ博士を主人公にした映画。
映画を通して、統合失調症を患った博士が見る幻覚が描かれている。
いろいろな感想がもてる映画だったので、それぞれ書いていきたい。
幻覚のルームメイトはなぜ現れたか?
大学の寄宿舎の時からの長い付き合いになる「幻覚」の友人、ルームメイトのチャールズ。
彼がなぜ現れたか?
博士には周囲の学友と打ち解けられない心の孤独があり、その欲求からチャールズが現れたと思われる。
またチャールズが理系ではなく「文学部」というところも大事である。なぜなら博士は自ら、自分には数学しかない、と言っていて、数学は自分の価値を示す重要な学問でありながら、同時にプレッシャーになっている。
だからこそ心安らぐ友人には、その領域から離れていている存在であってほしく、チャールズは文系になっている。
妄想の暗号解読がなぜ始まったのか?
市販されている雑誌に暗号が隠されていると指示する幻覚の政府の人間パーチャー。
彼はなぜ現れたか?
おそらく、自分の価値を認めて欲しい、承認欲求から現れた。
なぜ、暗号だったのかというと、序盤に学内で他の人間の暗号に関する論文にケチをつけている行為が関係していそうだ。
つまり暗号という分野で、他者に敗北感や劣等感を抱いていたからこそ、そこに固執して、自分は劣ってはいない、という証明をしたかったのではないかと思う。
博士はなぜ暗号解読をやめられなかったのか?
上記しているとおり、自己の能力証明の欲求で始めたが、なぜやめられないか?
それは博士は自身で、自分には数学しかない、と言っている通り、自分の人間としての価値を、数学・暗号解読にしか見出せないからだ。
そして博士は自分の能力を、疲弊しながら毎日使い続ける。
真夜中の草原を、闇雲にただただ走り続ける馬のように。
しかしついに疲れ果てた博士は人としての幸せ、やすらぎをもとめる。
それがしばしば登場する文系のチャールズであり、話が進むと彼は家庭の幸せのシンボルー疲れ果てた博士がもとめる幸せーである「娘」を連れるようになる。
つまり博士の心境は、数学で作られる自分の「価値」と、自分がもとめる安らぎと「幸せ」で揺れ動きつづけている。
奥様は博士のどこが好きなのか?
博士は疲れ果て怯えているし、同時に数学の冒険者、真理の探究者である。
そして、実はユーモアがおもしろい人物でもある。
そんなところが魅力かな、と。
統合失調症という病気
博士は数学にのめり込み、また孤独であったことで、統合失調症を深めていった。
この映画をみて、統合失調症は非凡(またはそう見える人)がなる特殊な病気、という見方をしそうだが、この病気は現代では100人に1人程度なり、またその原因も一意ではないことに気をつけたい。
映画『ジュマンジ(1995年)』の感想
2017年のジュマンジの方はゲーム、コメディ色が強く、ターゲットは中高生だと感じる。
一方、1995年の方は、子供から大人まで見れるような家族愛、過去への決別などテーマになったアドベンチャー映画である。
個人的にはこの1995年版のジュマンジが好きである。
ジュマンジは動植物が、超現実な形で人間に襲ってくるのだが、この映像・CG が今みても古さを感じないところが、映画の作り方として敬服する。
この映画の中で一番強烈なキャラクターのハンターが、父親と同じ役者なのは、ちょっと混乱気味になる。たぶん、逃げられない存在、という象徴なんだろうけど。
この目が出たらジャングルだ
5 か 8 出るまでジャングルだ
映画『あん』の感想
いい映画だった。
「あん」は餡子のあん。または五十音を人生になぞった、はじまりの「あ」とおわりの「ん」かもしれない。
どら焼き屋の雇われ店主(永瀬正敏)と、ハンセン病のおばあちゃん(樹木希林)、家出をした女子中学生(内田伽羅)がおもな登場人物。
この映画の特徴はみっつある。
一、話し言葉が聞こえづらい
二、風景がキレイ
三、負の感情の描写が深くなりすぎない
一
この映画の演出だと思うが、話し声が聞き取りづらい。何故かと思ったら、この映画は全体的に、声を張ってないのだ。
たとえば、店主とおばあちゃんが会話をするとき、お互いに相手に聞こえる程度の声量で話していて、カメラはまるでその日常生活を撮っているような雰囲気になる。
ゆえに会話が聞き取りづらい箇所もあるが、それがこの映画の暖かさに繋がっている感じがある。
二
キレイな風景。撮影は東村山市らしい。 この映画に出てくるシーンは、どら焼き屋、私鉄、樹木、川・・・静かでキレイだ。
なんとなくだが、東欧のような面影がある。出てくる電車は、西武国分寺線の黄色い車両だし、雰囲気がちょっとオシャレである。
三
負の感情の描き方だが、さっぱりしててよい。辛いことはあるのだが、その感情に身を置きすぎても物事はうまくいかないという感じである。
個人的には、おばあちゃんが小豆を丁寧に下ごしらえして、あんこをつくるシーンがとても良かった。小豆を見て、状況に合わせてゆっくりあんこをつくる。そういう風に人生もひとつずつ丁寧に生きれれば、素敵だろうと思う。
というわけで、あんは、最近みた邦画のなかでは、とても印象に残った。
ところで
どら焼き屋の主人役の永瀬正敏さんは声や、一見イカつく怖めな(実際は怖くない)ところが、原作者のドリアン助川さんと似ていると思うけど、そこは狙ったのかな?
映画『悪人』の感想
九州(長崎、佐賀、福岡)を舞台に、殺人事件と男女の逃避行を描いた作品。
田舎の静かさと寒さと貧しさ
固定された人間関係
海の波のような静かさで少しずつ少しずつ閉じていく人生
それに抗いたいが長く住み続けていたため変われない
そういった しん とした雰囲気が出てて良い映画だった。
どうして男は、警察が迫る中、最後に女の首を締めたか?
男が自分の凶行で、女を連れまわったことを客観的に示すため。そうしたことで実際に女は、以前の職場に復帰し、かつての日時生活を取り戻せた。
ふたりはどうしたら良かったのか?
おそらく初犯で殺人を犯したならば、何十年も懲役になることはなく、出所後に2人の生活を始めることができる。
また殺人事件の前に、女は他の男に暴行されたことや、金銭や恨みの点をもって弁護すると、減刑も望めそうだ。
しかし、そうはならなかった。
主人公の男は母親にネグレクトされて育ち、教育が不十分に感じるし、女は佐賀のある国道まわりでほとんど生きてきた。
そして、彼らは九州の田舎で育ち、逃げる時も行くあてなく、九州の田舎を巡るのだ。
それが悲しくて。
ところでこの映画は、ガラケーと出会い系サイトとメールで男女が出会っている。
いま(2019年)、この設定が十代に伝わるだろうか?